ブログ名

ボケ防止の為のブログ

字下げになりたい

 

 

 お久しぶりです。お元気ですか?
 勉強する週間が無事終わりしばらく脳味噌を、ひたすらソシャゲイベントをまわったり新規実装された曲でシャンシャンしていたり友人とアキバやスカイツリーその他諸々へ出向いたり武道館にてライブ参戦したり(アイカツ武道館最高でした)して休めていた所でした。休めすぎだなぁと思ったのでまたぼちぼち再開していこうと思います。何事もまず、思う事から始めないと何も出来ません。

 

 

 

 さて、皆さんお気づきでしょうか?このブログが字下げしている事を。自分がここにおいて字下げするに特に理由はありませんが(というより何も考えていなかった)、近頃このようなWeb媒体において字下げを行わない文章が増えています。そもそも多くの人が使っているであろうiPhoneでは1発で字下げ出来ないし、触れる機会の多いTwitterやLINEなどでも特に使わないし。小学生の頃、早ければもう幼稚園保育園でしょうか、文章を書く時にまず指摘される字下げ、それを行わないとは。かと言って字下げをしていないから教養がないだとか、そういう事はあまり感じられず、文中の言葉たちのフレーバーはとても新鮮であったりして、全く違和感なく楽しんで読ませて頂いています。だので「あえてしない」という方がしっくりくると考えました。

 


 ではなぜ「あえてしない」のか。気になったので、原点に帰りそもそもの意味を調べようとグーグル先生に聞いてみたところ、「字下げ」と打った時点でこれです。

 

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明らかに今日本人は字下げの意味を問うている!!!!!

 

    ちなみに字下げの意味自体はおおむね文章を見やすくする、段落がどこかをわかりやすく示す行為、の把握で大丈夫だそうです。しかも指定さえなければするしないは自由なんだそう。ちょっと捻りがなくて面白くない。そんなで調べていくうちに見つけた「字下げを行わずとも良い環境になってきた」説が自分の中で字下げに疑問を抱いた理由がしっくりときました。

    スマートフォンの主流の横読み縦スクロール、そして段落と段落の間は空けるなどすれば字下げを行わなくとも段落判断は容易に行えるので必要はない。とのこと。この時点で「う、うわ~~しっくりしっくり激しっくり」と思ったのでそのあえてしないの理由を考えるのはやめました。きっとそうなんだよ。


 しかし、今まで散々「字下げって意味ある?」と述べてきましたが、いざ無くなるかもしれない、と考えるとンン~~~となるのが人の常。例えば小説など(紙もWebも含めて)から字下げが消えたらどうでしょう。確かにカギカッコの段落頭は字下げするのしないの論争がなくなり平和が訪れるかも知れませんが、一抹の寂しさを覚えます。正直自分が読んでる活字は大体アホアホなのであってもなくても特に何も感じませんが、偶にちゃんとしたやつを読むと「まさかこれは段落のブロック形まで計算されているんじゃなかろうな?!」くらい行間が上手いものがありますよね。下までルーっと目線を行かせて、段落が終わった!と上に戻せば字下げによってガクッと一文字分ずっこける、それが気持ちいー!となった時を思い返すと字下げが完全に無くなるのはやっぱりちょっと寂しい。(無くなった未来、字下げ研究家が生まれたりする所まで考えましたがあまりにもくだらないのでここには書きません)

    いてもいなくてもいい存在ほどいざいなくなってしまうと大切な意味に気づいたり気づかなかったりする、いいポジション取ったなぁ、字下げ!!